西多摩自然フォーラム
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太陽の家 連絡先 042−555−9514 広若
定例活動日  毎月第1日曜日
《子ども竹林プロジェクト》主催=国際炭焼き協力会 担当=広若 剛
三ツ沢 当分の間、受け入れが出来ません。
6月から、太陽の家で、受け入れ態勢をとるつもりです。
連絡先 042−379−5113 西田 達昭
0428−22−3970 大谷 修
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炭吾郎の冒険選挙に行ってかき氷を食べよう!の巻

炭吾郎で〜す!710はいよいよ選挙ですね!私も時間が空いたら可能な限り某組の選挙事務所に行って自慢のノドを使って電話かけボランティアをしております。

この国政選挙の次はおそらく3年は選挙がないので、今回はすごく大事なんです。特に与党プラスαが憲法改正に前のめりになっている昨今しっかりとそれを阻止する勢力を作っておかないと、思いっきり右に寄った憲法に改悪される可能性が現実のものとなってしまいます。また、災害に対処するためとか言って緊急事態条項を加えられた日には、内閣だけで何でも決められるようになり国民の意思とかけ離れた政治になってしまう。そもそも東日本大震災だって憲法なんか全く変えず特別法を作ることで対処できたのに、なんで今更?と考えると、ナチスがかつてやったように自分たちに都合のいい“ご都合政治”を独断でやるためだと考えざるを得ません。

また、このまま今の与党に任せていると消費税はさらに上がり、しかもインボイス制度などという中小零細いじめの仕組みまで導入されてしまいます。そもそも「消費税は年金・福祉などの社会保障費に全額宛てています」というのは真っ赤なウソで、これは20191月に当時の安倍首相が本会議で「少子高齢化を克服し、全世代型社会保障制度を築き上げるために、消費税率の引上げによる安定的な財源がどうしても必要です。(略)8%への増税分の5分の4を借金返しに充てていた消費税の使い道を見直し、2兆円規模を教育無償化などに振り向け、子育て世代に還元いたします。」としっかりと8割は借金返済に充てていたと答弁しているわけですが、某組のデータでは、消費税による増税分は毎年そっくりそのまま大企業などの法人税の減税分に相当することが明らかになっており、これを縮めて言えば“大企業を優遇したために借金せざるを得なかった分の穴埋めを消費税でやりました”ということです。ということは、消費税導入前の的確な法人税にすれば消費税は廃止しても社会保障費影響はないということです。それにコロナになって消費税を減税・停止した国は6月時点で89か国に上っており、決して的外れな話ではないのです。ともかく今の与党は社会的弱者に対する配慮がありません。このまま選挙に行かず、政治を放置しているとますます生きづらい日本になります。

 というわけで羽村の水車小屋では、投票済証(受付で申請すればもらえます)を呈示していただければ、お一人様一度限りですが、平日のカフェタイムにかき氷(桃、マンゴー、メロン、イチゴ、日向夏)のうち一つをサービスすることに決定!(要営業日確認)とにかく投票率を上げたいのです!というわけでまたビラ配り行って来まーす!

#この夏は選挙に行って水車小屋でかき氷を食べよう!  




杉浦銀治先生ご逝去

 

202218日、杉浦先生は帰天されました。96歳でした。

私の炭人生は先生との出会いから始まりました。大学6年目のゼミ合宿が岩手県山形村での炭窯作り。「炭って何?」な私でしたが、そこにやって来られたのが当時62歳、農林試験場木材炭化研究室長を退職したばかりの先生でした。炭への愛の塊だった先生は、一週間私たちの合宿に付き合ってくれ、毎晩先生の炭談義をとことん聞かされた私は、合宿が終わる頃には、何を見ても炭と結び付けて考える脳の仕組みが出来上がりました。実際、炭が全く関係ないものはほぼなく、農業なら土壌改良剤の炭、自動車なら木炭自動車、紙幣の印刷も型を研磨炭で磨き、料理はもちろん炭火焼きが最も美味しく、水の浄化には活性炭など、先生の30年以上に及ぶ研究から出てくる話は、私の世界をで塗り換えたのでした。

それからちょくちょく先生の炭やき体験講座の助手を務め、その勢いで国際炭やき協力会を立ち上げて、国内はもとよりインドネシア、ブラジル、タイなどで先生を講師にした23週間の炭やき研修会を開催し、炭の上手な焼き方、使い方、そして素晴らしさを伝えることができました。特にインドネシアには毎年のように植林ツアーで訪れ、惜しみなく誰にでも自分の豊富な経験と知識を与える熱量に現地のNGOスタッフ達から深く尊敬されていました。

また、先生は97年、和歌山県田辺市にオープンした紀州備長炭発見館に世界20か国の炭を展示することを市に提案し、その収集人として私を推してくれ、炭をテーマにした世界旅行のチャンスを与えてくれました。先生のお蔭で二年に渡ってアジア、アフリカ、ヨーロッパ、中東、南米、中米を、炭の情報を集めながらスリル満点の一人旅を楽しませてもらいました。

先生の炭への熱い思いは「炭焼きは地球を救う」を合言葉に多くの人の心を揺さぶり、立ち枯れが進む森林への炭撒きイベントは数多く開かれました。愛知では段戸山でヘリコプターから炭を撒き、世間を驚かせました。足尾銅山跡地への炭を使った緑化作業を5年以上現地の人たちと共同で続けたのも忘れられない思い出です。今でも先生の炭による環境改善の思いはしっかりと残っていて、全国各地でボランティアによる山への炭撒き活動が続いています。

 

試験場時代の最後、先生は炭の土壌改良に関する研究に取り組み、その成果として炭は農水省によって土壌改良剤として認定されました。それから日本では炭の農業利用が進むのですが、それから20年近く経て、世界がそれに気づき、バイオチャー学会が誕生しました。炭を土壌に埋めれば炭素固定=温暖化抑制ができ、さらに農業生産性が上がることで飢餓削減につながる、という点に研究者たちが着目したのです。しかしこれを提唱し始めたアメリカのヨハネス・レーマンは、実は先生から情報を得た日本の研究者からヒントを得たのでした。

2008年にイギリスで開かれた学会に、先生は「一生の思い出になるから行こうじゃないか」と私を誘ってくれ、これまでの日本における炭の土壌改良に関する研究と実践を先生と発表した時には、300人を超える聴衆から割れんばかりの拍手喝采を浴びました。壇上で「どうだ!これが日本の炭だ!」と言わんばかりに備長炭を“チーン”と鳴らす先生はとても満足しているようでした。今ではIPCCがバイオチャ-の農業利用を温暖化削減の公式メニューとして、そして日本でも政府が炭素削減手段として認定しており、Jクレジットと連動しています。

久保田代表がかつて全国雑木林会議に出た時に、活動の中で炭やきを取り入れている団体はほぼ全て「うちは杉浦先生に指導を受けています」と言ってたと笑ってました。先生は日本の市民による炭やきムーブメントも大きく後押ししましたが、それに留まらず世界までその熱量で動かし、炭の環境利用を地球規模で広めた人でありました。

 

誰にでも気さくに、熱く、朗らかに、礼儀正しく、時には少年のようにやんちゃに、でも細かいことには拘らず、人を非難せず、どんな人でも受け入れ、ダンディで、人間がとっても好きで、常に深い思いやりを持って人に接する、裏表の全くない、大きな大きな人でした。

私を“炭”の後継者としてずっと紹介してくれていました。先生の志と生き方をしっかりと受け継いで生きたいと思います。先生、これからもどうぞお見守り下さい。 合掌    広若 剛












杉浦銀治先生の吉川英治文化賞を祝う有志の会報告

広若 剛

98日、開業から1年経ってもしぶとく営業を続ける田んぼの中のカフェ・羽村の中車水車小屋で、標記の会が催されました。このニュースで会員各位にも告知するつもりでいたのですが、ニュースの発行日が僅かにずれていて、みなさんに案内できなかったことを初めにお詫びします。

当日は生憎の小雨模様。お祝いにかけつけたのは久保田会長、東事務局長を含め24人。北は宮城県・七ヶ宿町の白炭焼職人・佐藤さんから南は熊本・水俣の愛林館館長・沢畑さんまで、今年米寿を迎えられた杉浦先生に一言お祝いの言葉をかけたいと馳せ参じて来られました。料理は水車小屋ランチの名コック・谷中さん。他では味わえない自家製シメサバを始め、紀州備長炭粉末入り胡麻豆腐などを肴に、お昼2時頃から会は始まりました。

司会・進行は先生の一番弟子である私が仰せつかり、賞の紹介から始まり、先生の業績、そしていろんな方からのメッセージの朗読、自己紹介を兼ねた各参加者からのお祝いの一言と、和やかに会は進行していきました。水車小屋カフェを始めるまでは、毎月1回杉浦先生を囲む会を太陽の家で開催していたのですが、カフェを始めてからなかなか身動きが取れなくなり、久しぶりに先生を囲んでいろんな人を呼び、炭を軸にした人の輪をつくることができたのは、嬉しいことでした。群馬からは10年以上前、足尾銅山の緑化のために炭を撒いていた時の現地協力者・金子さんと太田さんが布団持参で駆けつけてくれ、足尾でいつもごちそうになっていた自家製うどんを振舞ってくれました。当時は先生もまだやんちゃ盛りで、金子さんもかなり反発していたものですが、こんな時はちゃんと来てくれて「やっぱりあの時が一番楽しかったなぁ」と言ってくれ、先生も嬉しそうでした。

当然、炭幸舎の中島さんもいつものゆでだこ状態になるまで痛飲し、炭やきの会理事の岩谷くんと炭焼写真家の三宅くんの笛とギターのセッションでは、いくらみんなが止めても踊らずにはいられない山梨大学名誉教授の小林さんが歌まで披露し、大いに盛り上がりました。

先生からは米寿のお祝いに作った銀爺手拭がみんなに配られ、額に入れて飾ったりせず、ちゃんと作業で使いなさいという指示が出ました(笑)

冗談はさておき、先生ももう米寿になられ、昔のようにどこでも飛び回るわけには行かなくなっています。しかし、炭をめぐる動きはクールベジタブル運動を筆頭に、最近各地で盛んになって来ました。私も日本バイオ炭普及会という団体で、その普及に尽力していますが、活動の中心世代がそろそろ私たちの番になって来そうな感じです。今回も千葉から北総クルベジを展開しようとしている有限会社ゆうきの喜屋武さんが駆けつけてくれ、酸性雨被害を炭で軽減する運動の理論的支柱を担ておられる大森禎子先生とともに、農地と山林土壌に炭を撒いて環境回復を進めようという話で盛り上がっていましたが、どんどん新しいやる気のある人が増えています。私は炭を肴に宴会をするのが趣味でしたが、そろそろ真面目に「炭」に真正面から取り組んでいく時のようです。


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